古い話で恐縮ですが

今から何十年も前の古い話ですが、私が高校生の時のことです。昭和の時代の話です。

その頃の高校には「倫理社会」という科目があり、現在の倫理と現在社会を併せたような教育内容だったと思います。
その日の授業の内容は「マスコミについて」という課題で、クラス内の生徒間で各自が調べたことをディスカッションするというものでした。

ディスカッションの方法は、各自が挙手をして、先生が生徒を指名してその生徒が自分の意見を述べる。
そして、その生徒の意見に対して、クラスの全員が意見を出し合って議論していくという授業の進め方でした。

当時の私は、みんなと違ったことを言って、ちょっと目立ちたいという気持ちもあったのでしょう。
読んでいた漫画の受け売りと、高校生の無謀さから、

「将来もしも、時の権力者が新聞やテレビを利用して、権力者が有利な見解を書いた記事や放送をしていくと、その新聞を読んだりテレビ放送を見ている人間は、その権力者の意見が正しいものだと信じてしまう。そして、権力者は、自分が有利なように政治を行ったり、社会を動かしていくことが可能になる。

というような意見を言いました。

それからが大変で、クラスのみんなはマスコミの使命を調べてきているので、

「社会の木鐸たるマスコミが、そんなことするわけないだろ。」
「放送倫理委員会とか社内のチェック機構が存在するから、あるわけがない。」

という、意見が多数出てきました。

私の方は、
「アメリカとスペインによる米西戦争も、新聞が引き起こしたものだと聞いているよ。」
「嘘も百回言えば真実となるともいわれているよ。」
と、稚拙な反論をしていたのですが、
最終的には、クラスで成績優秀な生徒の
「戦前の大本営発表じゃあるまいし、戦後の民主主義の時代で、そんなことあるわけない。」
の一言で、私に賛同してくれる人は一人もおらず、クラス全員に対して私一人という形でディスカッションを行うようようになってしまいました。
そのため、クラス全員から異端視されるような状態になってしまいました。

クラスの意見が出尽くして、先生の総評を待つような雰囲気になりました。
その時に、倫理社会の先生が一言こういいました。

「新聞もテレビも、将来では無く、今現在、もう既にそうなっていますよね。」
「それは、各自で判断していってください。」

クラス全員がシーンと静まり返ったのを、今でも覚えています。
普段、言葉少なめで静かな先生だったので、尚更、その言葉の印象が強かったのでしょう。
先生はその後は何も話しませんでした。
そして、マスコミについてのディスカッションはそれで終了して、授業は次の課題に移っていきました。

 次の課題に入っても、私の頭には次の考えが渦巻いていました。
「将来もしも」とあり得ない事だと思って仮定で言ったのに、「今現在、もう既に」ってどういうこと。。。

 それから、何十年も経って、今現在はどうなっているのか。
高校生の思春期の多感な時期に得たその経験は、今でも、鮮明に思い出されます。 

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